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地遊村

自然体と共同体

地(人)が生きる環境、価値観に触れられる環境、実学がおもしろい環境

自然体

餅は、餅屋

共同体が生み出す環境

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Newsflash

また、一年。また、一年。バージョンアップできているかBGM:How deep is your love.価値のありかは、何処からどこぞの奥底からなかなか、触れられる機会というのか、「ソコに触れる」ということ自体が、どういうことなのか、言葉や文字では説明できない感覚どころ。ソコとは、埋もれてしまっているというのか、生まれたては、そのものがソコにあり、時が過ぎゆくことで、埋もれていってしまう。つまり、触れることができなくなっていくソコは、いつもソバにある。気づかなくなり、気づけなくなったりする。磨き続けられているかソコは、曇り易い触れなければ、触れられない。だから、曇り易い。年齢という年月は、家や生活環境の掃除(ほこりの有無)に等しい。手を入れなければ、たまる、よごれる。メンテナンスが、必要永遠だ止まれば、止まる。止まらないように、メンテナンスしてあげてほしい。すると改めて、「価値」というものに触れられる機会が、チラつき始めてくる。生まれたては、「機会」しかないのだけれども、時と共に、「機会」「価値」として感じ得られなくなっていることが多い。習慣からくるマインドセットは、厄介だ。未知でいい「価値があるのか、価値がないのか」その先に、行ってみないとわからないことが、ほとんどではないだろうか。経てきた「経験値」やその度合いという価値観によって、大きく左右される。「経験値し得たモノゴト」を価値とする人、「未知数、やったことないモノゴト」を価値と見出す人、物差しは、自由だ。感じる、感じ得たいところは、どのあたりか?もらわず、与えられる価値を与えてしまう前向きに、磨き続け、見出し続けられるリズムを築き上げる気づくと「価値」に溢れかえることにもつながる- 価値
五月、立夏機会はあれど、機会に至る人、機会に至れない人とある。不思議なもので、機会は、ほぼ等しくあって、「変わるものと、変わらないもの」とに、分岐してしまうよう..。「大切なものは、見えにくい」あたりからか..BGM 蒼氓 by 山下達郎さん先天へ外からにはない、内から。スイッチのようには、いかない灰色の毎日。日常生活上にある、想念。繰り返すことのない、進化する日々とは。未知との遭遇- 恵み
気付くと冬は、いつも厳しい。そういうものなんだと、しみじみ感じます。更新なり進化なり、変化なり、その時の意味や意義は、どこからか?わかったようで、わかっていません。12月、2021年、1月、2月、水面下に、あがくわけですが、振り返ると「なんだったけ?」か。っと、消え行きます。BGM 旅路 by 藤井風さんその一瞬一瞬と調和する夢中か、充実か、無心か。捉えようとすると掴めない。けれども、なんか良い「何かが、そこにはある」それでいい、気がしてきています。そんな曲や歌声との出逢いは、特別でした。「踊っている、何か」見る必要も、見える必要もないここに、在れば、それでいいそこに、つきまとう妙な空間が、時に、やってくる。「空間?」言葉にすると「余白、淡白、無心、孤独、世界観」や「恐怖、不安、不信、空虚」紙一重。自由って、ことなんだと。そして、自然であること。色々を重ねると彩りと化す重なっていくものは、何か。苦楽という身体が、感じえられた「何か」。言葉には、おさまらないもの。それでも、その感覚や感性は、それなりを何かに映し出す。その一つに、音楽もそうなのかもしれません。ソコへは、それなりにある道筋が避けようとも、避けられないようです。晴れる、曇る。「晴れる」が、いいわけですが、ソコへは、ソコを通過して行かなければ、いけないようです。機会は、すぐそばにあって、自分の影みたいなものかもしれません。「どう受け入れられるか、受けとめられるか」- 彩る調和