一生懸命に生きること
生きること
痛く、辛いこと
この日々連続の中に、垣間見える喜びや楽しみを嗜む。
おっ、ちと重々しいところから、入りましたね。笑
なぜか、そういう思考と願望なんでしょう。
白か黒かの解答は、ありません。どうありたいか。
ただただ、それだけ。
メロディーが心地良いです。
少し、音を下げてBGMとして聞き流しながら、一読ください。
死と向き合う…
何度もあるわけではありません。
その時代、時代を生きて来た方々は、数知れないのだろうかと。
そこで見通されるのは、その方々の姿勢活。私生活ともいいますか。
姿勢の方が、いいと勝手に思います。笑
考えず、ふと想い触れる感覚が、ただ単に、そうさせるだけ。
そこにある死生観は、どこか走馬灯のように、どこかへ留めておかないと
見失ってしまいます。いいもわるいもなく、道を照らしてくれます。
生き方
こうだ、これがいい、こうあるべき等々、個々に様々
個々にある種をどこに、根付かせるか。
芽が出ると社会は、多種多様です。雨風や雪、光という太陽、人間の我欲
その間をスルスルとあらゆる物事を吸収しながら、光・太陽に向かい伸びます。
はて、一体何のために、伸びるのか。それも様々。
心地よい頂きに着き、再び種を生み出し、新たな地を探し歩きます。
個々にある道は、様々。
途中で、断念。枯れて、折れてしまう道もひとつ。
隣は、隣り
自身が、いい花を咲かせれば、姿勢活へと自然とつながる気がしています。
隣りを見て、「おっ、いい…」と動き歩かされているうちは…
時間がもったいない
どこにでもある時代、社会、ヒトが生む姿勢は、ほぼ同じ
誰が、どこが、どうであるということは、”気づき”のような気がしています。
どこを、どう生きる、いかすも当人次第
その道に、進もうとする際に、見え隠れする闇は、暗い。
それは、独りへの道。
ところが一旦抜けると…自分自身のイメージする世界
一歩
日々の一歩の積み重ねの深さ…姿勢..活.か。
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