感じるこころと想いの摩擦が日々を磨く
感じるこころと想いの付き合い方
なんということもなく、ふと自分で撮った写真をみて
想い思う事をままに、綴っています。
知っていたのですが、想うことをおもい、ふと流れて来たBGM
ツヨク想う
感じるこころ
起源は、ここ。こころが水晶であるなら、また自分自身であるならば
曇っていると入ってきません。
それでも自然と時に、曇り、時に晴れます。
わかっているようで、わかってもいなく。目に見えない。
感じているこころ…
こころの反応は、脳や頭ではない自然の反応のようなもの。
曇りを生み出すものは、一体なんなのか。
外には、なく自身にある。あるというか、自身が勝手に生み出す。
どうして、生み出してしまうのか。
どう生きるか、生きたいかの想い
「ポン」と生み出るものではない。一度出て、治まるものでもない。
共に、人間として磨き続ける他ない。立ち止まると自然と曇りが追いかけてくる。
これは、誰々ではない。当人が自分で道と向き合い、道を導き出し
自分自身に挑戦し続ける他ない。
エレベーター式の環境が大半。生かすも殺すも周囲に生きる者同士が
どう思いやるか。
海外で思いやりを掛け違う光景を視た…実に…言葉を失います
下の写真は、とある国の観光地
電車で都市部から50分ぐらいか。様々なモノが祀られています。が
ちょっと陰を覗いてみると。ゴミがもっさり…
下の写真は、とてもきれいな建物とお花が小さく、点々とそえられています。
ところが、やはりゴミが目立ちます。
公園の外に出ると「お土産買って〜〜っと」たくさんの人たち…
表面でなく中身
素敵な歴史的産物に、たたえる気持ちの花々…
しかし、そこに生活する人びとは、足元にあるゴミにも目をくれず、
行き交う観光人に、モノを売っています。「それじゃ、伝わりませんよ…」
「ありがとうございました!」そこに全ての感謝という対価がモノを行き交わせます。
当たり前ですが、目に見えるもの見えないもの
見えないモノを持っている我々にとって「感じるこころと生きることへの想い」の
認識は、大切なんだろうなっと。
そんなことをふと思い起こしてくれる歌に、遭遇。
歌詞も噛み締めてみるととても自然体なんですよ。
自然と自然体に生きるということ。
そこには、無数のメッセージが隠れています。
実は、現地のヒトに問いかけてみたんです。「なぜ、なんですか?」っと…
ただただ、黙るだけです。
それでもその土地の歴史的産物、先代の恩恵を受けて生活を続けているわけです。
ふと想いが、ツヨクこみ上げてくるのです。
「なぜだ…」っと
「伝えても伝わらない」いや、これは「伝えられない。伝えるものでもない…」
個々が、個々に、6感に届くメッセージに気づき、
きっかけに触れ、磨き続け、自覚していくものなのかと。
peace.
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