個々に在る個々
睦月(むつき)が過ぎようとしています。間もなく2月如月(きさらぎ)
感覚に、睦月ということばに、馴染みありません。
向き合い、出逢い、身体が受け入れていくと「スッと..」入ってきます。
睦月:睦み合う。親睦(ぼく)に使われていますね。
ゆっくり辿るとわかるものが、どこかしらにあるようです。親睦…なるほど。
What a wonderful world. by Stacy Kent
足元に在る
目の前に響めく、空虚感は一体なんなのか
個々に生み出すもの。そのもの自体、実体の存在は、無いものなのかもしれません。
ただただ、個々が自ら生み出している。
風向きが、どこか↗︎突き抜けられていない空気感
空気自体は、響みなく清々しいのに
ヒトの呼吸がどこか、「呼吸していない」
「呼吸させられている」様子にあります。
どうしてなの?
時間
何の為に、学校にいき(正解のみを探す時間)
何の為に、働き(支払いという生活時間)
何の為のライフであるか..
生活のため…と こぼれてしまうのか↘︎。生活っ…↗︎ といきいきにあるのか。
選択しているのは、個々にある。
時が過ぎ、時季にふと周囲の空虚感と遭遇することがある…
そんなときは「そうだね.」で時は過ぎていく
でも、気持ちがはやる…。その先は、個々のものにある。領域がある。
ために、諦める
気持ちは自然と力む
不思議と気持ちあればこそ、力んでしまう。どうしてでしょうか?
「あなたのために…」
願い、想い、動く。
それは、そうではなく単なる「自我」
自決が起源。周囲は、きっかけ。入ってしまう力は、どこにどうする?
内に秘めることにする。信じることにする。
やることは、やった。次なるステップに、進む
次々にやってくる
どうやら、そういうものらしい
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