麗しくある
ふと耳に残った音「麗(うるわ)しい時代..」ふと、感覚になかった言葉..にただ、何と無く魅かれる何か。はて、何だろうか..と辿ってみる。辞書にこうある「よく整って美しい、晴れやか」
変わりゆくに、消えゆく感覚..
どう言いあらわせるのかは、わからない..けれど、ソコにある感覚は、表には立つことのない美意識。この手にはつかむことのできない感どころ。祖父母が口にしていた音域でしょうか。その音は、どこから生まれてくるのか、不思議でした。なんともいえない、空気感。何かが込められている..あふれてくるもの。
余韻
気持ちの余白でしょうか..ソコに溢れ出す”あいらしさ”は、自然本来の姿なの..?っと、自然を眺めるかのように、あるものがあります。その時は、自然と育まれてきたものなのでしょうか。育んできたものなのでしょうか。その時代(時間)に、様々なものがあったかと問うと「何も無い」という時間があったわけで..。その空間をどうにかしたいという創造や希望..だったのかなっと。
創造する、希望する..気持ちを羽ばたかせる
その隙間や余白の空間は..とどこかに。それでも自然は、自然とバランスにあるところにあり続ける居場所を保ち続けるんだろうと..感じます。w
これからに..これからも..
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