時代は巡る
ほんと最近学ぶ事が多い
特に64歳以上の方たちからが、ほとんど
ふと考え事をしたりするときに立ち寄る場所が、碧い海の会
何をしに行っているのかと考えると、特にない。
何か作業をして、見て、座る。ただ、それだけかも。笑
そこで出逢う人たちから、自然と吸収してる
ひとつ、面白い視点があったので共有してみる
絆(きずな)という言葉なんて、なかった
メディアがほとんどですが、よく耳にする言葉の一つ。
大先輩から見ると「会話することでもない」となるが、時より話してくれる。
- 「そんな言葉がなかった」
- 「言葉のないところに、絆が自然とあった」
- 「それが、あたりまえだった」
大先輩の幼少時代にタイムスリップすると、こんな世界がある
一言で言うと「貧しい」
- 風呂水を頂く
- 4畳一間暮らし
- トイレは外
- 水は、一人洗面器一杯
でも子供たちは、生き生きしていた。目が、生きていた。
今とは違う。
具体的な言葉ではなくて、違うモノが大先輩からするとそこにある。
心が生きていない
色々話していくとここにたどり着く。ヒトの心
な〜んでかわからないけど、ここにたどり着く。
「喋ってねーで、手を動かせ!手を!」
碧い海の会で、それが体感できる
若手が来ても、数回来る程度「何をしたら良いですか?」と問われるらしく
その質問が、一番きついと言います。笑
回答は、好きにして…
別に、毎日来る必要もなく、何もない。
時代は、繰り返す
時代というか、個々も同じか?
取り組んでみたけど、間違え、考え、取り組み、またやってしまう。
どこかに原因がある。気づかない場合、それが永遠と続く。
でも、それもひとつの生き方。
社会がモノに溢れ、国が災害にぶつかったとき、ヒトは気づかされる
そのとき過去に存在しなかった言葉が、生まれて来る。
大先輩は、言っていました。
日本人は、もともと持っている
異国と接する中、日本人の文化が薄れてきた。
そこには日本人に対する恐れが、異国にあったからと…
もともと持っているものって、いったい。
そこに出て来ることばが、一つ二つ。「武士道」と「長屋暮らし」
精神と思いやり(お互い様)がそこにある。
現代社会では、きれいごとなのだろうか?
現代は、そんなの「過去過去。現実、現実。理想、理想」と
感じてしまうのだろうか?
日本人は、見て感じ、学ぶ力は、とてつもなく凄いと感じています。
まっ、だから流されやすい一面もあるのかもしれませんが。笑
くどいですが、
色々言ってやっても、まわりにまわり、たどり着くのが、心の生きよう。
心って、自由奔放だからコントロールしてあげないと..
いやいや、毎日色々と考えさせられます。うん、色々と見えてきた気がする。
そんな時が一番、油断するって?笑
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