祈り(お水取り)との出逢い
またまた、久しぶりのブログ更新。なんと1年近く経過していました。
あっという間というか、うん。実に時間の流れが早く、面白いです。
そんなこんなと書くことにしました。
2015年 お水取り 東大寺
ご縁を頂き、参加させて頂きました。
感謝しかありません。貴重な経験、体験でした。
そもそも何の行事なのか、何の為に行っているのか
これまで何が行われて来たのか。
そこには、日本の魅力に満ちあふれた可能性を感じ得ました。
お水取り
春を告げる行事。3月1日から14日まで終わる頃には、冬が明け春へと。
752年から一度も途絶えた事がない行事…752年って
え〜っと、今が2015年ということは、1263回目に参加をさせて頂いたのかな?
ありがとうございます。
松明が19時半頃から灯り、帰る人たちと本堂へ入る人たち。
「小原さん、最後迄いるの?」
「はい、もちろんです。せっかくですから…」
「ところで、何時迄?」
4:30…なっ、ん?え?
覚悟しましたね。行だ、行。「できずして、できるか。」問いました。笑
目的はなければいけないのか
あたりまえ…?笑
今現在、生きている時間は、自分自身の時間の中
うん、無くたっていい時もあっていい
どこか、ここの土壌にある「正解でなければいけない空気」いったいどこから生まれてくるのか?
個々の心理か。生活か。
日常かなっ。笑
松明を眺め、人びとがカメラを手に、松明を眺める。
個々にある想いや希望もきっとある
松明の時間を過ぎると本堂にあがることができる。
そのもう一つ柵(部屋)の中に入る事ができるのは、男性のみ。
女人禁制、時代がつくりだしたもの。なぜか…いつか聞いてみたいと思います。笑
友は、体調もあり先に帰りました。自分は、独りに…
この機会に..何を想ったのか、ただただ最後まで見届けたい。
どのような生き方が、そこにあるのか。
他は、何もありませんでした。
何か、ある。何かが、どこかに。どこに、向かおうとしているのか。何か、存在するのか。
行を終えて
いったい何人のひとが居たのでしょうか。
100人?
もっと居たのかな?
4:30までいったい何を
隅々まで見尽くしたつもりです。
記憶にあるのは、清々しさ、笑み、あたたかい気持ち。疲れなんてありませんでした。
寒さ?そりゃ〜もう、なんとも言えません。寒いですよ。
準備なんて、防寒着程度です。笑
祈りを捧げる人たちは、常に声を高々と全身を動かし、
リズムを奏で、互いの空気を感じ祈りを捧げていました。
印象的だったのは、柵の中に入れなかった女性の皆さんの姿勢です。
顔なんて暗いのでわかりません。ただただ、視線が強くそこにありました。
人間がその場に、各々の目的を持ち、気持ちを動きに表していました。
我が走る方は、周囲は見えず、周囲に壁を作り出します。
群がるといいましょうか。
なんとも人間の「欲」が、なんとも不自然に生き急ぎ、
調和のバランスを崩しているように
感じてしまいました。行は、万人に。水も。
忍ぶ、和む、分かち合う、言い換えると「大地を受け入れる心」でしょうか。
大地とは、個々の目の前に起きている日々・事柄。
受け入れられているのだろうか。聞いているのだろうか。
我が走ってはいないだろうか。
自分自身の心を体感する時間
様々な生き方がある
日々振り返っています。あの時間は、いったい…
自分自身に何をもたらし、何に至っているのか。
そこで自分自身は、どう生きるのか。どう大地に応えるのか。
今回このような貴重な機会に巡り合えた事、とても幸せに感じています。
周囲の皆様のおかげです。ありがとうございました。
日本って、面白く、勇ましい姿勢がまだまだたくさんありそうです。
温故知新
見落とさないよう日々を重ねよう。うん。
感謝
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