必要な時に、必要なモノだけ
今日から雨が数日続きそう…
晴れて〜!
先日、行ってきた講演会
「ビッグデータとクラウドコンピューティング」
久々に、刺激のあるスピーチを聞く事ができました。
ビッグデータ?クラウドコンピューティング? なんじゃそりゃ?
パソコン、システム、データについて、将来よりよく使うためのお話ですね。
Hadoop とかいう言葉がそのモノらしい。
データを分散することで処理速度が高まるらしい。
必要な時に、必要なモノを使え
- ビッグデータを早く処理、扱う事ができる
- 従来よりも数倍早く事が進められる
メディアでじゃんじゃん発信されているみたい。
今後、急成長する。(急成長中とか)
講演者は、言いました。「本質を見よ」
(正確な言葉じゃないかもだけど、そんな気がした。)
誰がこのHadoopとやらの発起人で、どんな目的や体制の上で、どうなるのか。
「いいところだけ見るな!」
悪いところもあるっ!踏まえよ!
踊らされる日本
Googleを追撃するための策が、ここ(Hadoopとやら)にある。
目の前に楽なベルトコンベアーがある。「乗るだけ」
ある程度の目的地に到達できる。が その後、路頭に迷う。なぜか?
事の大局が見えていない。
講演者は、言いました。設計が大事
どういう体制(人たち)で、どんな目的のもと、どう動いていくのか。
提供する側の考え方、実働を踏まえながら
受け手側の設計が、不可欠。
時代は、流行に流され一時的に楽しみ、喜ぶ。しかし、その道中、問題にぶつかると
新たなモノを探し動き回る。この繰り返し。
メディアに第一次情報なんて存在しないことが、改めてよくわかった。
必要な時に、必要な分だけ利用しよう。
歴史は、繰り返す
目の前に近道があると歩いてしまう。
誰のための、何の目的があって、歩き始めるのか。
見定め、決めて、歩もう。
「○○ながら」という流れながらの判断も不可欠。
けれども一度、立ち止まり環境を受け止め
辺りを見回し、高いところまでジャンプする。「ピョ〜んっ」と
一旦、テレビ、パソコン、ラジオ、動作を止めて、
自然をぼ〜っと眺めてみる。すると得られるモノがある。何か?
自分自身の意志ではないだろうか。
自然環境とは、昔からあるわけで「いつまでもそっと人類を見守っている」
人間たちが「ありがたや〜、ありがたや〜」の感謝を忘れ見失うと、怒る。
昔は、1万年かけて人口が約30億人。
ところが、現代は約40年で人口が倍以上伸びている。現在は70億という。
そんな中、日本は人口が減っている。これが正しいのか、正しくないのか?
これが、自然なのか?
自然でいい気がする。その環境を受け入れ、共存できる環境にすればいい。
話が右往左往したが、自然、社会に対しても、自分自身に対しても
「必要な時に、必要なモノだけ」こういう視点って、
日本人には、DNAにあると思うけどな〜。
ブータンに行くと体感できるかもね。笑
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