受け入れるとき
連日の御天気に恵まれて、心身の養生にと出逢う本や映像に
時間を感じる事ができています。
日常のどこかに生じる頑な側面。
その裏に潜んでいるものは、何か。
あなたがいて、わたしがいる。
わかっているようで、わからない。
わかっていなければいけないのか..
わからないことが、自然なのに…
悲しくてやりきれない by コトリンゴ
ひとびと
頑な背景に潜んでいるものは、自我なのかもしれません。
イメージを共有できない空しさ。
希望が見えなくなると、ヒトは、絶望を吐くこともあります。
せつなく、もどかしい瞬間です。「わかってほしい、わかりたい」のに、
固執していく瞬間に出逢います。
力を抜き、できることを還りみる
何かを得よう、何かを達成させよう…「こうすれば、あ〜すれば」と描く
すると「自身にできないこと」を周囲に描きはじめてしまいます。
そこは、もう自分の領域ではない世界なのに..。
未来は、わからないこと
ある映像に出逢いました。
相手が身障者であると物事は、
自然と力がゆるみ、受け入れられ、スッと動き始めているのです
目に力が入り過ぎていないか…。そう感じました。
どのようなヒトであっても、合わない世界や側面があることが自然で普通にあること
どこか、同意は、不自然なのかもしれません。
寄りそう
社会や経済に制約は、あります。
それでも、その中に居ても、捉え方は、受け入れられる自身でいると
生じる気持ちのオアシスと出逢えます
内から見出すこと。周囲にはないオアシス。
Where am I..
Who am I..
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